わたしが「おふっち」を作るに至った原体験

わたしが”社会的立場や外見などは重要視されない、素の自分と合うリアルの友達ができる交流支援サービス「おふっち」”を立ち上げて、何をどうして行きたいか。

辛かったり、諸々事情があって人と関わる事を休むのは良い、休むだけ休んだら良い。
でも、最終的に人生をより良くするのは人との繋がりであること、その事を皆にも、特に人と関わることが苦手な人にも分かって欲しい。
負のスパイラルに入りかけだったり抜け出そうと奮闘している人たち、孤独や惨めさを感じている人たちに、人生の危機を乗り越えていって欲しい。

その為には、

・「社会的立場や外見などは重視されないサードプレイス」要素をサービスに持たせることで、マイノリティの人たちにも優しい世界を提供
・そこにさらに対極の人たちも混ぜて優しい世界でワイワイ楽しんでもらい、ターゲットとしている人たちが受容されてかつ良い刺激を受けること

この状態にする事が大切です。

それに触れる前に、私たちのサービスが届いて欲しい人はどんな人たちなのか、その人たちがどういう状況なのかを説明できたらと思います。

サービスを届けたい人とその状況

今の世の中、SNSは普通に普及しています。
Twitter/Facebook/Instragram/TikTok/etc...
それぞれ色んな特徴があり、ユーザー層やそのプラットフォームでよしとされるものが違いますよね。
皆さんもご存知かと思いますが、各種SNSに棲み分けが起こっていると考えています。どんな棲み分けか?

Facebook: 社会的信用度(実名、学歴、肩書き)重視、優等生投稿が多い
Instagram: キラキラ度・美的センス重視、イケイケ感
Twitter: 面白さ重視、オタク・サブカル層、コミュ障

こんな棲み分けがされているのは皆さんお気づきだと思います。
それを見て、何か感じることはありましたか?

FacebookやInstagramをメインに使っているユーザー層は、肩書きやセンスやコミュ力があり、結局既存サービスの何を使っても友達を作れてしまうのが容易に想像がつくと思います。
Tinderその他マッチングアプリでも、それなりに映えるプロフを書けちゃいますし、やりとりもそつなくこなせちゃいます。

Facebook/Instagram/Tinder・Pairsその他マッチングアプリは、
「持てる者」の為のプラットフォームなのです。

Facebookは、ハーバード大学のマークザッカーバーグによって作られ、超エリート環境のなかで受け入れられ、広まっていきました。
映画「ソーシャルネットワーク」の中にも出てきますが、「harvard.edu は誰もが羨むドメイン、これを持つものしか入れない」”ハーバード・コネクション”からヒントを得た様に描写されている話もあります。
こうした選民思想にも似た話や、エリートの人達がやりがちな、名声の為に自分の名前を世に知らしめたり、肩書きや経歴を世に見せびらかしたい、マウントを取るのが平然と行われる様な環境から始まったのです。
それがビジョンとしてクリーンな言葉に変わると、
「この世界に透明性をもたらすことで世界が平和になる」という根本の思想に変わっているのです。
(cf. フェイスブック 若き天才の野望

日本では、今やFacebookは名刺的に交換されたり、相手がしっかりした人かチェックする為の審査に使われたりするほどです。それはつまり社会的信用度があるかないかの基準になる程のものなのです。
でも、どうですか?そういった人たち以外の平々凡々とした人たちや、私も経験した俗に底辺と言われる人たちは、「Facebookありますか?」と言われて、そういう審査的な感じで見られるのに抵抗はありませんか?
(何もそこで見せられる良い情報なんて持ち合わせていない…自分なんか…)

また、Tinder・Pairsその他マッチングアプリの生態図をご存知でしょうか
いつかTwitterでバズってたかと思います。こちらです。

画像1

これが現実なのです。「イケてる男女のためのアプリ」なのです。
(私は非モテ男子に含まれるので、過去サービス側に養分として吸われた経験があります)

今の世の中、こういった「イケてる人」「肩書き職歴がしっかりしている人」が知り合えるサービスは世に溢れています。
でも、私含む非モテ男子や、一度挫折した人や挫折しかけやそこから這い上がろうとしている人が、リアルの世界で充実できるようなサービスってありますか?

「Twitterあるじゃん?」

・Twitterは、会ってコミュニケーションを深める為のプラットフォームではありません。趣味垢とか情報収集のために使うことがほとんどで、フォローフォロワーが多くても、そこから会う友達になるのはほとんどありません。ほとんどネットの世界に閉じています。
・そして、オンラインコミュニケーションは、コミュニケーションの質としては低いと考えています。仲良くなるのに無駄に時間かかります。
・その人の趣味嗜好価値観をみるには、ツイートを遡って見ないといけません。
・Twitterはネガティブな投稿がほとんど&拡散されやすいですよね。愚痴怒りとか、所謂炎上です。その為フォローを厳選しないと、見てるだけで気持ちが沈む、疲れます。投稿ミュートしないといけないのは、運用上の欠陥があると考えています。そしてそれがSNS疲れを起こす。怒りは伝搬しやすく、他人の感情に感化されて自分までどこかの誰かの怒りに翻弄される。
SNS疲れは、情報を浴びるように摂取して、他人の感情が自分の心に侵食してきたり、自分と比較したりして、それに振り回されるから起こるものです。

私たちの日常は、SNSであまりにも時間を浪費し、翻弄されているのです。

SNSの本来的な使い方、SNSの根本は、人と人の橋渡し的に使って色んな人との弱い繋がり(weak tie)で機会を増やすことが根本の機能としてあります。
6次の隔たり(Six Degrees of Separation)という言葉をご存知でしょうか。

全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説

なのですが、Facebookなどでは3.5次の隔たりだというデータが挙げられています。

でも、実際、Twitterでこの恩恵受けられていますか?

私はこの恩恵より、SNS疲れの方が大きいので、各種SNSから距離を置いていた時期がありました。
特に、原体験の大学中退して社会のレールから外れた頃は、周りの情報と自分を比較して、すごく惨めな気持ちになりました

これってどういうことか分かりますか?

社会のレールから外れている人、マイノリティな人ほど、孤独を感じているのに、それを解消する為に既存SNSやマッチングサービスを使おうとしても、出会えない・疲れる・惨めな気持ちになる仕組みがあるのです。

私は、ここに目をつけました。

「イケてる人」「肩書き職歴がしっかりしている人」が知りあえるサービスは世に溢れていて交流が盛んなのに、「社会のレールから外れている/外れかけそうな人」「マイノリティな人」ほど孤独を感じていて人との繋がりが求められるのに出会えない・疲れる・惨めな気持ちになる現状。

こんな格差、おかしくないですか?これを私はどうにかしたい。

これが、「私たちのサービスが届いて欲しい人はどんな人たちなのか、その人たちがどういう状況なのか」です。

....

しかし、私たちのサービスは、基本的にはマイノリティに目を向けるサービスですが、マイノリティだけに目を向けた互助会的なサービスともまた違うのです。マイノリティに目を向けるが、マイノリティだけの世界にするんじゃない陽キャも陰キャも合わさったプラットフォームで、優しい世界を作るんです。

原体験1: 社長じゃないけど”社長”と呼ばれる非公式のバイトリーダーとの想い出

話は遡って、14年前。
私が地元で某焼肉店のアルバイトをしていた18歳頃の話。
美容師と焼肉店バイトのダブルワークの人が、非公式のバイトリーダーになっていた。
そして社長じゃないけど「社長」と呼ばれていた。
夜にラウンドワンの様なところで集まって、遊ぶ。
バイト仲間のパリピみたいな人も居るし、自分みたいな陰キャも居る。まったくバイトと関係ない人も呼んでくる。
その「社長」が、うまい具合につなぎ合わせていた。

私は中学時代にイジメられた経験があって陽キャを忌避していたが、そこでの経験が、「すこしくらいなら一緒に遊んでもいいかな」くらいに進歩した。
そこではコンプレックスを感じなかった。
自分、そこに居て良いんだと思えた。
凄く楽しかった。
この人と一緒に居ると、今まで自分が忌避していた人とも話せるし、フォローしてくれる。
あの場所には、優しい世界があった。

私は、あの空間を再現したいんです。

その為には、マイノリティだけではダメなんです。

原体験2: 大学中退してレールから外れた自分がレールに戻るまでの軌跡

これは、メンバー募集ページの最後にある通りです。

発端は、10年前、大学4回生。

人間関係で行き詰まって友達が減って次第に調子が悪くなり、大学4年で中退。人との繋がりを断つと人生が悪い方向へ向う経験をしました。
大学中退以降は、友達と言える友達が出来ず、一緒に飲みに行ける友達や、何か相談できる友達も居ませんでした。
ITエンジニアを目指していたレールから外れ食べていく為にアルバイトを転々とする現状の不甲斐なさから、どこかに出向いて行っても、「仕事何してるの?」など何気ない言葉が自身のコンプレックスに突き刺さり、自己嫌悪や疎外感を感じていました。

その後もアルバイト転々としていましたが、このままではダメだと思い、ずっと趣味で続けてきたプログラミングを通して、この現状を打破出来ないか考えました。

そんな中で知ったのが、地元のITエンジニアコミュニティで開催される勉強会で、思い切って参加してみる事にしました。
そこには、現状がどうであるかとか、社会的立場や外見などは重視されず、純粋に技術に興味がある人たちが集い、学び、語り、楽しむ場がありました。
勉強会の後には、技術の話もしながら、食事やお酒を楽しむ懇親会もあり、なんて楽しく刺激的な集まりなのだろうと感じました。
それからいろんな人に触れ、人情に触れ、人と繋がりだすと、学生時代からずっと好きで取組んできたプログラミングを生業にすることが出来ました。

原体験から結論づけること

こういった経験から

・色んな人が集まって一定のフォローがされる環境下で上手くコミュニケーションが取れている感、それが苦手意識を克服するのに大事な要素
・人とのつながりが、人生を好転させる

ということをを学びました。

これを起点に、ITを活用して何かできないか、そこからこのプロジェクトが始まりました。